次の各年に起こった日中関係に関する記述のうち、妥当なものはどれか。
- 1894 年に勃発した日清戦争は、翌年のポーツマス条約で講和が成立した。それによれば、清は台湾の独立を認める、清は遼東半島・澎湖諸島などを日本に割譲する、清は日本に賠償金 2 億 両テールを支払う、などが決定された。
- 1914 年の第一次世界大戦の勃発を、大隈重信内閣は、日本が南満州の権益を保持し、中国に勢力を拡大する好機とみて、ロシアの根拠地であるハルビンなどを占領した。1915 年には、中国の袁世凱政府に「二十一カ条要求」を突き付けた。
- 1928 年に関東軍の一部は、満州軍閥の張作霖を殺害して、満州を占領しようとした。この事件の真相は国民に知らされず、「満州某重大事件」 と呼ばれた。田中義一内閣や陸軍は、この事件を日本軍人が関与していないこととして、処理しようとした。
- 1937 年の盧溝橋事件に対して、東条英機内閣は不拡大方針の声明を出した。しかし、現地軍が軍事行動を拡大すると、それを追認して戦線を拡大し、ついに、宣戦布告をして日中戦争が全面化していった。
- 1972 年に佐藤栄作首相は中華人民共和国を訪れ、日中共同宣言を発表して、日中の国交を正常化したが、台湾の国民政府に対する外交関係をとめた。さらに、1978 年に田中角栄内閣は、日中平和友好条約を締結した。
出典:令和元年度 問題47
解答
3
解説
- 1894 年に勃発した日清戦争は、翌年のポーツマス条約で講和が成立した。それによれば、清は台湾の独立を認める、清は遼東半島・澎湖諸島などを日本に割譲する、清は日本に賠償金 2 億 両テールを支払う、などが決定された。 ❌
準備中 - 1914 年の第一次世界大戦の勃発を、大隈重信内閣は、日本が南満州の権益を保持し、中国に勢力を拡大する好機とみて、ロシアの根拠地であるハルビンなどを占領した。1915 年には、中国の袁世凱政府に「二十一カ条要求」を突き付けた。 ❌
準備中 - 1928 年に関東軍の一部は、満州軍閥の張作霖を殺害して、満州を占領しようとした。この事件の真相は国民に知らされず、「満州某重大事件」 と呼ばれた。田中義一内閣や陸軍は、この事件を日本軍人が関与していないこととして、処理しようとした。 ⭕️
準備中 - 1937 年の盧溝橋事件に対して、東条英機内閣は不拡大方針の声明を出した。しかし、現地軍が軍事行動を拡大すると、それを追認して戦線を拡大し、ついに、宣戦布告をして日中戦争が全面化していった。 ❌
準備中 - 1972 年に佐藤栄作首相は中華人民共和国を訪れ、日中共同宣言を発表して、日中の国交を正常化したが、台湾の国民政府に対する外交関係をとめた。さらに、1978 年に田中角栄内閣は、日中平和友好条約を締結した。 ❌
準備中